■ 2ちゃんねるは、ここのサーバを使ってるです。。。
 .jp ドメインお持ちのお客様大歓迎。maido3.jp
 .fm 取得代行します。(US) maido3.fm
 .ca 取得代行します。(US) maido3.ca
 .com .net .org 取得代行します。(US) maido3.com
 .cc .to .tv 取得代行はじめました。NEW
人気サイト
月々1,000円からの BinboServer.com 2ちゃんねるも使っている Big-Server.com
>> 2ちゃんねる、サーバ監視所

■掲示板に戻る■ ■過去ログ倉庫めにゅーに戻る■
第1次大戦時の戦車について
1 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/02/08 18:51
第1次大戦時の戦車についてのスレが無いので立ててみました。
世界で初めて実戦投入されたイギリスのマークW、ドイツのA7Vなどの
第1次大戦の戦車について語りましょう。


2 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/02/08 18:52
う〜ん・・・すぐ沈みそうなテーマ・・・

ルノーFT17が最高傑作でしょう。


3 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/02/08 18:53
戦車同士の戦いは発生したっけか


4 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/02/08 18:55
1916年のソンムの戦いで初めて戦車が実戦投入されました。


5 名前:  某S  投稿日: 02/02/08 18:56
ドイツが戦車を投入したら、さっそく
マーク4雄1台、雌2台
vs
A7V1台の遭遇戦が発生している。



6 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/02/08 18:58
WW2の象さんは鈍重だったがWW1の象さんは空を飛ぶぞ。


7 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/02/08 18:59
>>5
詳細キボン


8 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/02/08 19:04
WW1だと、戦車の印象は塹壕戦を制する為の 鈍重な鉄の塊と言う
印象しかないなぁ


9 名前:  某S  投稿日: 02/02/08 19:06
A7V1台が、仲間とはぐれたところに、
マーク4雌2台と遭遇。
雌2台の機銃攻撃を跳ね返したA7Vは、至近距離から、2台とも撃破。
そこに雄1台が駆けつけ、A7Vを破壊、
A7Vの乗員は走って逃げた。

うろ覚えですが、こんな感じだったかな



10 名前:  某S  投稿日: 02/02/08 19:11
「戦車恐るるに足らず」というのが、ドイツ側参謀本部の終戦までの見解。


11 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/02/08 19:19
第1次大戦の前に、ドイツかオーストリア・ハンガリーが戦闘用の試製トラクターを作ってなかった?


12 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/02/08 19:22
A7Vって、あの動く要塞みたいなやつ?
記憶が正しければ、ガソリンエンジン+モーターのハイブリッドだと
聞きましたが。



13 名前:  某S  投稿日: 02/02/08 19:25
>記憶が正しければ、ガソリンエンジン+モーターのハイブリッドだと

もちろん、嘘です。ポルシェ博士がながしたデマです。


14 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/02/08 19:52
マーク菱形戦車(雄型)
http://member.nifty.ne.jp/masasMF/note/mk-4/misc/ref.htm
当時は鉄条網と深い塹壕が多かったのでこの形になったとか。
全長8.0m 全幅3.9m 全高2.5m 全備重量28.0t 乗員8名
液冷ガソリン機関 105hp 最高速度5.9km/h
武装:23口径6ポンド戦車砲×2、8mm機関銃×4 装甲厚:6〜12mm
あと機銃だけ装備の雌型も有り。

ドイツは7.5cm野砲の直射、対戦車銃で対抗した。


15 名前: 忘れないで・・・ 投稿日: 02/02/08 20:15
恐らく機械化された馬が出現したのは、クリミア戦争1853年から1806年
のおいて蒸気トラクター・タイヤフラップ付きが最初だろう。
これは、重火器をお馬さんより楽に運べるようだった。
イギリス軍はボーア戦争1899年に一寸マシになった蒸気トラクターを大砲牽引用
につかった。戦争が片付いたころには、そんな物忘れていた。
時代は、まだ、ロマンを求めていた。
ところで、アメリカではキャタピラの元祖が蒸気トラクターへ登組み合わされなかな
便利だった。こいつは使えると思った軍人はフランスのエスティエンヌ大佐や
イギリスのスウィントン中佐などがいたが、みんなは「あんなノロッチイもの
なんの役に立つの、大砲でDQNだぜ」と取り合ったくれなかった。
そして、ほとんどの物はまたも忘れていった。
タダひとりの頑固者を除いて・・・。



16 名前: 11 投稿日: 02/02/08 20:21
>15
それは知らなかった。そんな時代から戦車があったとは。。。
ありがとう。勉強になりました。


17 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/02/08 20:23
設計だけならダヴィンチの戦車があるんだけどな。
15世紀にあんなものを考え出せるんだからすごい想像力だよ。


18 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/02/08 20:27
世界初の戦車なら日本の「安神車」がある。
馬なしでは自走出来ないが、装甲はついていた。



19 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/02/08 20:29
フランスのサンシャモン戦車やシュナイダー戦車はどうよ?


20 名前: 頑固者は居た。 投稿日: 02/02/08 20:33
時のイギリス海軍大臣“ウィンストン・チャーチル”は気になっていた。
何が気になるのかは、本人にもわかっていなかった。
1914年イギリス海軍航空隊がベルギーに配属された。このとき
海軍兵により、飛行場防衛のため自動車部隊が編成された。
チャーチルは部隊の大砲牽引車へ装甲を施し、壕を乗り越えられるように
改造できるか考えた。これが気になっていたことだった。
最初の公開実験の結果は誉められた出来でなかった、後悔実験だった。
頑固者は開発を続行するように指示した。
「私は陸軍省にも、報告しなかった、また兵器局もこのような構想には
乗り気でなかったも判っていた。私は大蔵省にも知らせなかった」
大した自信である。


21 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/02/08 20:38
菱形戦車萌え。


22 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/02/08 20:40
>18
水戸公が作らせたアレか?
まあ、敵兵を爆笑させて腰砕けにするのには有効かも・・・・・・。


23 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/02/08 20:40
英国のコーギーという模型メーカーが今度MK4をダイキャストモデルで発売
するらしい…


24 名前: 最初に名前ありき。 投稿日: 02/02/08 20:49
開発は前途多難であった。なんでも設計はイギリス海軍航空隊の大尉
W・ウィルソンが行っていたが、なかなか改良が出来なかった。
そこで、フォスター社のW・トリトンと協力し研究を続けた。
初代は気に入らないようで、2代目がよく知られているあの形であった。
ゴルフコースの実験で、なかなかよい成績で軍は100輌を発注した。
その際に機密保持のため“ウォーター・タンク”と称することになった。
この名前のセイダロウカ、お偉方意見はサーパリだった。とどめは
イギリス軍総司令官の「面白い仕掛けのおもちゃに過ぎない」であった。



25 名前: ドーバーを越えて。 投稿日: 02/02/08 21:39
イギリス軍は軍令部、軍政部もこの厄介なタンクをうるさ型の将校に
任せた行った。彼ら戦車推進論者は大体まとまりつつあった。
それでも、戦車部隊は1916年4月にイギリスから西部戦線へ送られていった。
T型・雄型6ポンド砲2門、オチキス銃4挺装備が75輌
U型・雌型機関銃4挺装備が75輌であった。各重量28トン。
乗員は将校1名。兵6名であった。
8月中旬イギリス軍は戦車を重機関銃部隊の編成内「重部門」へ配属された。
そして、運命の1916年9月16日がきた。



26 名前: 出る杭は打たれる。 投稿日: 02/02/08 22:43
イギリス軍は9月15日の夜に49輌の戦車は移動をはじめた。
9月16日陣地へ突入した“タンク”は39輌を切っていた。
だが、結果として300名のドイツ兵を捕虜としていた。
しかし、この成功は事実だが真実で有ったのだろうか。
イギリス軍はこれまで戦車部隊を育てた指揮官を更迭していた。
また、戦車は、集団使用されず歩兵直協として使われていた
この戦勝は硬直した戦線には、ちょうど良い新聞ねただった。
イギリス本国では、参謀本部と陸軍省が戦車軍団の増強を押さえにかかった。




27 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/02/08 23:51
ドイツ軍は戦車の出現当初は混乱していたが、そのうち野砲の水平射撃で対抗するようになった。
さすがドイツ軍。


28 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/02/08 23:53
A7Vって機銃手は走行中、つり革につかまって立ってたんだね


29 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/02/09 10:50
http://www.trpg.net/learning/war/log/1/002.html
よりコピペ。
このあたりが、実戦に投入された世界最初の戦車ではなかろうか。
まぁ、馬匹牽引なんだが、装甲+火砲の組み合わせ、ってことで。

1.フス戦争に於けるタボル派(15世紀ボヘミア(チェコ))
 ボヘミア王位継承を巡り、神聖ローマ皇帝ジギスムントが全キリスト教国に呼びかけて成立した「ボヘミアの異端者撲滅」の十字軍(その数8
〜20万)を五度に渡って迎え撃ち、勝ち続けたヤン・ジシュカ旗下のタボル派は、 圧倒的な大軍を相手にする為、装甲を施し火砲を備えた戦
車(馬曳)を大量に装備していました。また、彼らは中世ヨーロッパに於て歩兵が「火器」を大量に装備した最初の例の一つでもあります。 彼ら
の戦術の中核は、この戦車をずらりと並べた車砦に拠って、敵の突撃を食い止め、火砲と銃器の火力によって制圧するという物でした。これは
時代を遥かに先取りした戦術でした。ボヘミアの農民達を主力とした彼らが、中世騎士の存在意義自体を打ち砕いたのもむべなるかなと思え
ます。

2.中国に於ける「車営」戦術(紀元前〜16世紀) 
 中国に於ては紀元前後の時代から、騎馬民族の襲撃に対する防御策として、荷車を利用した車砦を使用していましたが、晋代に入って「偏
箱車」と呼ばれる車の一方の側面と背面に壁を持つ車が制作され、後に大きな影響を与えます。 その後、明代に入り、偏箱車に仏郎機(火砲
の一種)を載せ、方陣を組んで騎兵を撃退する「車営」戦術が成立しました。北虜南倭を相手に獅子奮迅の働きを見せた戚継光、女真族の「後
金(後の清)」に対峙した孫承宗等の名将がこの「車兵」を活用しました。



2ちゃんねるは、ここのサーバを使ってるです。。。