第一次答申で、これからの日本国民に求められる「生きる力」とは @ いかに社会が変化しようと、自分で課題を見つけ、学び、考え、主体的に判断し、 行動し、問題を解決する資質や能力 A 自らを律し、他人と協調し、他人を思いやる心や感動する心など、豊かな人間性 B たくましく生きるための健康や体力 と定義つけられているようですが、私はこんな感想を持ちました。
@ 人間は「生まれながらにして平等」で「他者を害しない限りで自らの幸せを追求する権利」 を有するものである。 A 人間は、外敵から身を守り、あるいは生産を効率化するため、集団で生活することを 覚え、最終的に「国家」というものを作った。 B 「国家」を成立させ、国家の一員となった人間は、自らの権利の正当性を国家により 承認され、保証してもらうことにより、安定した生活が行える。 C つまり個人は「自分と全く平等な他者(又その集合体として「社会」)との関係を 「決定付ける力」を「国家」に付与することで国家の一員となっている。 D 「国家」を治める力を「主権」と呼んでいるが、主権の及ぶ範囲内の国民に対し、 「主権」を有する者は「あらゆるルール」「あらゆる価値」を決定する力を持つのだと 考える。社会の中で生きる意志のある者は「主権」の定めるルールに従わざるを得ない。
E 「所有権」は「物に対する排他的支配権」であり、「所有する者」に対し、大きな 地位と権限を与えるものである。 F 従って「所有権の要求する本来的ルール」があるとすれば、「所有物から発生する冨に 余剰が生じた場合、所有する者に対し、優先的に分配するべし」が基本となると考える。 (これを仮に「(所有権の要求する)本来的ルール」と呼んでおきます。)
G 人間が「自らの幸福を追求する存在」である以上、生活する上で必要最低限の「所有」 のみならず、さらなる「所有」を欲することは否定できない。 H 「経済活動」とは、人間の「幸福追求」の欲求を実現するために発生した現象だと 考える。 I すなわち、昔、人は自らが生産ないし採取した所有物資(又はサービス)のうち、 余剰となったものを他人の所有する物資(サービス)と「交換」し、その効用を受ける ことで、更なる「満足」を得る方法を発見した。 J これにより人は生活の全てを「自給」する必要はなくなり、海辺に住んでいる者は 魚を、山に住んでいれば獣をとり、自らが置く環境からは取得が難しい物資(サービス) は「交換」により取得することで満足を得ることが合理的と理解した。(分業の発生)
K さらに「価値」を標準化した「通貨」を発明することで、物々交換よりも遙かに 合理的な交換活動が可能となった。(なぜなら貨幣は、あらゆる交換を成立させ、 長期間にわたり価値が減じない媒介であるから) L すると、人は「幸福」を追求する場合、「貨幣」という、自分の好きな物資や サービスにいつでも交換可能な媒体を数多く得ることが最も合理的だということに 気がつくようになった。 M つまり、物資(サービス)は必要以上に所有しても幸福の増加にはつながらないが、 共通の「価値(貨幣)」であれば、より多く得れば得るほど幸福の増加につながる。 N 貨幣を媒介として財と財との交換を行い、数多くの貨幣を取得することにより 「自らの幸福を追求する」形態の下では、人は「現に必要なだけ」取得するのではなく、 「少しでもより多く」の「価値」を取得しようとする行為を行うようになる。 (この形態になって「市場」が発生したと呼んでいいのではないか?)